今日は僕の父と母と犬の生活している家にいます

母の代理で今日はこのクロワッサンみたいな犬を井の頭公園で連れまわしました。
そして最近は映画を見ています。
ここ一週間で見た映画は

真夜中のカーボーイ(ダスティホフマン主演のアメリカンニューシネマ)

ゼイリブ(プロレスラーのロディ・パイパーが主演するSF映画。ジョンカーペンター監督)

・黒猫白猫(エミールクストリッツアの1995年ヴェネチア国際映画コンクール監督賞受賞作品)

メタリカ〜真実の瞬間〜(メタルバンドメタリカドキュメンタリー映画

・バロン(テリーギリアム監督のファンタジー映画)


等です。

この中でも特にお勧めは「黒猫・白猫」です。
これは、是非熊谷ゼミの皆さんにも見てほしい映画です。
クストリッツアはサラエヴォ出身の映画監督で、早くから才能を発揮してきました。
超大作「アンダーグラウンド」でカンヌのバロムドールを受賞するのですが、政治的な論争を世界中で巻き起こしてしまい、映画撤退宣言をします。
しかし、その宣言をあっさりと撤回して撮ったクストリッツア初のコメディにして、僕が最も好きな映画の一つである「黒猫・白猫」です。
ドナウ川のほとりに住むジプシーの生活や恋物語、列車強盗などが縦走に重なる映画なのですが、素晴らしいの映画のキャストの大多数を占める、本物のジプシー達です。
この映画では、職業俳優はほんの数名しか出ていません。
キャストはその辺で酒呑んでるおっさんです。
演技なんか出来るはずはありません。
撮影時間も守りません。

しかし、その本物のジプシーの顔が凄い。
みんなメッチャクチャに「濃い」顔をしていて、とにかくリアルな人生の辛苦が、一つ一つの動きに現れています。

映画の素人が、俳優に圧倒的に存在感で勝ってしまう映画なのです。

「こう見せたい」と願う表現者の意図を、素人があっさりと超越してしまう瞬間を切り取ってみたいというのも、卒論における僕の一つの目標なのだと認識しました。

少し話しがずれるかもしれませんが、我々の日常に置き換えて考えて見ました。
携帯での「自分撮り」というのは、とても興味深いパフォーマンスです。
自分で自分を撮るという時点で、多少の自己愛があるのは決定的です。
いいんです、みんな自分が大好きだから。
問題は、自分で撮った自分の写真が、「自分というイメージの最大値」として機能させたい、という意図が働いてしまうかもしれない、ということです。

気に食わなければ削除してしまうでしょう。

皆さんの携帯に、自分ひとりだけが写っている写真がありますか?
もしあるのならば、きっとその自分が、無意識化に他者に与えようとする自分の印象なのではないでしょうか。

しかし、その思いはたいていの場合は伝わらない気がします。
クールに見せたいのに「可愛いね」とか
格好つけてるのに「変な顔」とか

そんなことありませんか?