僕の問題意識。卒論に向けての。心構え

僕は卒業論文というものを、何を書いたらいいのかわからないまま放置してきた。
これは大変に不味い。
でも卒業はしたい。
なので、僕は書こうと思う。
まず、僕はパンクロックという音楽が大好きだ。
パンクロックという音楽は1976年にロンドンで産まれた。
当時ロンドンは大変な不況で、若者たちは働き口が無かった。
イギリスという国は、階級制度がハッキリとしている国で、産まれた時からなれる職業が限定されていたりする。
その中でも、階級が下の人たちを「ワーキングクラス」何て言ったりする。
働くしかないからワーキングクラス、単純だ。
んで、この当時はワーキングクラスの奴にも仕事が全然無かった。
国中が鬱屈していたし、若者はイライラしていた。
今の世界情勢から考えるとフランスなんかが近いかもしれない。
で、ヴィヴィアンウエストウッドの旦那さんであるマルコムマクラーレンっておっさんが
「この若者たちのイライラをバンドの音にしたら世の中引っかきまわせるんじゃないか」
なんてな事を考えて、結成させたのがセックスピストルズ
漫画NANAのお陰で小学生までが存在を知ることになったセックスピストルズ
実際にはピストルズのメンバーは中産階級出身だったりするのだけど、まぁそこはうまく嘘ついてカバー。
奇抜なファッションでめちゃくちゃ単純な演奏、怒りにまかせた歌にならない歌
そんなんを歌ってたら彼らは社会現象になった。
彼らが出したシングル「ゴッドセイブザクイーン」はシングルで一位の売り上げを上げたんだけど、歌詞が不適切ってことで(女王陛下を馬鹿にした歌詞だった。日本で言えば天皇批判)その週のチャートは一位が無し、なんて状況を作った。
そして彼らは一枚のアルバムを発表しただけで、あっさり解散した。
彼らは確かに世界を変えたのだ。

んで、僕はこのセックスピストルズとかパンクが未だに大好きで。
何で好きなのかって言ったら、「権力に歯向かっていく、既存のものをぶっ壊してやろう」みたいな精神が、凄い共感を覚えるし、僕もそうやって生きて生きたいとかずっと思っていたからだ。
現時点の僕を見るととてもパンクとは言えないが(大学出ようとしてるし)、そんなわけで僕はパンクの精神というものを標榜して演劇学科での学生生活を送ってきた。

で、演劇人もやっぱりパンクな人間が僕は好きなわけで。
元々、KERA(有頂天)現、ケラリーノ・サンドロヴィッチが芝居やってるっていう情報を得て、演劇を見始めたりしたんです。
今や売れっ子の田口トモロヲプロジェクトX)のナレーションをやっている人もパンクバンドをやっていたりしたわけで。
でも、「パンク」っていう言葉は凄く定義のしどころが難しくて、
新の意味で革新的な演劇人って言うのは日本ではいないのかな、とか思っていたら、熊谷先生から凄い奴を教えられた。
それが川上音二郎だった。


で、飛ぶけど僕はほかにもシュルレアリスムが好きで

フランスの作家アンドレピエールド・マンディアルグが大好きなのだ。
彼の文体の美しさには常に心を揺さぶられてきた。
基本的にマンディアルグの小説はエロイんだけど、そのエロさが半端じゃないのだ。
演劇人だと、アントナン・アルトーかっけー!とか思ってて。
最初卒論はシュルレアリスムについて書こうと思っていた。
でも、やはり俺の脳には理解不能で。
それでまた戻って、演劇について考えていたんだけど。
今現在演劇界って言うのは本当にヤバイ。
演劇自体凄いつまらないし。
もう演劇を見て感動することなんて無い。
何でかって言うと、それは演劇が社会に対して何の揺さぶりもかけてこないからなんじゃないかと思う。
演劇って言う村社会に自分たちのフィールドを限定して、その中でぬくぬくやっているだけ。
進歩も発展も無く、ただただなんとなく芝居好きな奴が増えていく、もしくは辞めていく世界。
大体普通の奴演劇なんて見ないし。
時代が違うから、なんていって見ればそれまでかもしれない。
けど川上音二郎は違う。
川上音二郎は「演劇」そのものを変革したし、社会に対して常になんらかしらのアプローチを取っていた。
川上音二郎はパンクスだ。
パンクスな演劇人達は一体「何」を変革しようとしていたのだろう?
今演劇界に足りないのはパンクスなんじゃないだろうか?
乱暴かもしれないけど、そういう風に卒論を書いていきたいと考えている。